暖快の家との出会い
私が暖かく快適な家を知り、取り組み始めたのは1993年5月でした。
それまではビルリフォームの合間に木造住宅のリフォームを少し手掛けていたくらいです。
そしてそのころ、木造住宅のリフォームをしながら、いつも疑問に思っていたことがいくつかありました。
一つ目は木造住宅の寿命がみ短すぎること。
住宅ローン35年で新築した住宅の寿命もほぼ同じ30年から35年。
二つ目は湿気が多く、水分による被害が多いこと。
冬場の窓の結露がひどく、特にお風呂場などの水回りの土台や柱の腐れが多かった。
床下は今のようにコンクリートではなくて土、じめじめしていてかび臭く、床下全面に白いカビのようなものが広がっている。
三つ目は冬場の家の中の温度差が大きすぎること。
コタツやストーブを置いてあるお茶の間・リビングは冬場25度以上の温度で暖かい。
しかし、一歩廊下に出るとつま先立ちしないと歩けないくらい底冷えがすごい。
お風呂場やトイレなど薄着になる場所が一番寒い。
そのころ、栃木県は男女とも脳卒中死亡率が全国でトップ、県では塩分の取り過ぎが原因と発表していました。
(上の文書は、当時理科年表を参考にしてハッピーハウジングで作成したっものです。)
20.08.09toku記
20.09.10toku追記
丁度そのころ、つまり1993年5月、書店で「現代病の原因は住宅にある」と表紙に書いてある雑誌を見つけました。
週刊朝日の別冊だったと記憶しています。
その雑誌の冒頭部分に三名の対談が載っていました。
医者と建築家とエアサイクル研究所の大下一義氏。
対談の内容は表記のとおりで現代病と言われるアトピーやアレルギー、脳卒中などは、現在多くつくられている住宅の構造に原因があるというものでした。
自分が住宅のリフォームをやりながら疑問に感じていたことの解決策がそこには記されていました。
私はすぐにエアサイクル研究所の大下氏に連絡を入れアポを取りました。
それから、研究所のあった船橋市へ通い模型を使ったり実物実験で学ばしてもらいました。
そこで家の中の空気の流れや高断熱・高気密のこと計画換気のことなどを知ることができました。
大下氏から教わった工法はエアサイクル住宅を進化させた「エアシステム住宅」という工法でした。
スタイロフォーム30㎜を2枚合わせて間に気密シートを挟んで気密を確保するという工法でした。
冷暖房はビルトインエアコンを床下と小屋裏につけ、熱交換換気扇を通して外部の空気と入れ替え、各室には50㎜のダクトと小型換気扇で換気する方法です。
それから半年ほど後、栃木住宅フェアに出展してリフォームでの高気密・高断熱は可能かと聞かれ「できますよ!」と即答。
ハッピーハウジングの最初の高気密・高断熱住宅は改築工事でした。
今でいう「断熱リフォーム」の初期だと思います。
そのお客様は新築することはなく、増改築工事を何回となくやらせていただきました。
今でもハッピーハウジングの大事なお客様としてお付き合いいただいています。
20.08.24toku記
エアシステム住宅では宇都宮近辺で新築3棟、大規模増改築2棟施工しました。
下記の新聞記事はエアシステム住宅としては最後の住宅です。
広告ではなく新聞記事として取り上げてもらえるくらい当時は新しくすぐれた工法だったと思います。
しかし、このエアシステム住宅は3年間でハッピーハウジングでは取組を止めました。
理由としては性能は非常に優れていましたが、イニシャルコストはともかくランニングコストも非常に高かったからです。
20.08.30toku記
1996年(平成8年)4月、エアシステム住宅の新工法「エアロック・アトロシステム」をプレス発表した後、
家を新築したい人からの問い合わせもほとんどなく、悶々とした毎日を送っていた頃、同じエアシステム住宅に取り組んでいる鳥取県の工務店仲間から電話がありました。
「徳澄さん、あんたファースの家って知っとるか?」
「いや、知らないよ。聞いたこともない。」
「そうかいな、これはすごい工法や。エアシステム住宅より簡単で性能もいいで。」
「?????」
「三鷹に東京電力のオール電化住宅展示場があってなあ、そこにファースの家があるから行って見て話聞いてみたらええと思うよ。」
「わかった、行って見てくる。」
それから間もないゴールデンウイーク前に三鷹にある東京電力住宅展示場の「ファースの家」を見に行きました。
初めて見たファースの家は衝撃的でした。
床下、基礎立上り、外壁、屋根のすべての内側が現場発泡ウレタンで覆われていて、まるで鍾乳洞のようでした。
季節的に暖かさの体感はできなかったけれど、私も高気密・高断熱住宅の専門家です、魔法瓶のようなその造りを見ただけで性能の良さはわかりました。
その場所で説明をしてくれたのはファース本部・福地建装の福地智専務(現在2代目社長)でした。
しかも、その現場発泡ウレタン断熱は業者の責任施工だというのです。
2020年の今でも気密・断熱を責任施工というのは少なく、大工さんに任せている施工がほとんどだと思いますが、ファースの家では当時からそうだったのです。
現場発泡ウレタンで一番難しいのは厚さの確保ですが、それもキッチリ確保できる特許工法でした。
計画換気システムはエアシステム住宅に似ていましたが、無駄を省いた省エネでシンプルなつくりです。
発泡ウレタンで心配な火災に対しても壁内にファイヤーストッパーというもので対応してありました。
肝心な冷暖房について、冷房は小屋裏にビルトインエアコンを設置してあり、暖房は蓄熱暖房機を1階のリビングなどに設置する方法。
この冷暖房は、その建物の延べ面積・容積・窓面積・窓の向きなどから計算するソフトがあり、簡単に必要容量を算出することができます。
それまで、エアシステム住宅が最高だと思っていた自分にとって、その日は目からウロコの一日でした。
20.09.12toku記
その後、「ファースの家」のグループ登録を決意してファース本部へ連絡。
東京で「ファースの家」のプレス発表があった日に開発者である福地修悦社長(当時)に初めて会い、紆余曲折を経て1996年6月に「ファースの家」の登録工務店になりました。
ハッピーハウジングの最初の「ファースの家」は住宅ではなく障害者施設の建物でした。
鉄筋コンクリートの大きな施設の脇に木造平屋の「ファースの家」をつくりました。
北側に廊下、南側に同じ大きさの部屋が4部屋。トイレとシャワールーム、洗面台がありました。
大きな施設へのアプローチは吹きっさらしの渡り廊下。
北側廊下にヘーベシーベの金物がついた木製引戸。性能が良く見た目も良いものです。